菊の御紋のデザインは、バビロン遺跡から

昨日、病院の検査後に近くの神社でお礼の参拝をした。神社に鳥居に大きな金色の菊の御紋があった。見た途端に、思い出したことがある。ここからは壮大なロマンです。

 

40年ほどまえに仕事で中東のイラク共和国で働いていた時がある。仕事の合間にバビロン遺跡を見に行って衝撃を受けた。バビロン遺跡は4000年以上前に出来た世界最古の文明であり、菊の紋に似たイシュタル紋を見たときになんでここにあるの?言葉が出なかった。その後、エジプトのツタンカーメン王の墓から出土した青銅器製ものには菊の紋が付いていた。なぜ、菊の紋が世界最古の歴史を持つ遺跡の中から見つかったのか、その理由が知りたくて帰国してから調べて、自分なりに納得したことがある。

 

中東で見たデザインは日本の皇室の紋章である菊の御紋と本当非常に似ていた。16枚の花びらと中央に小さな円がある。しかし、世界最古のメソポタミア文明が栄えた中東に菊が咲くわけがないと思っている。日本の菊のルーツは3000年前の中国だと言われている。しかし、太古にシルクロードを伝わり

バビロン(チグリスユーフテラス川の岸部)から中国経由で日本まで来た可能性も否定できない。

 

色んな書物を読むと、菊の紋ではなく、“太陽信仰の紋”だという結論だった。古代のメソポタミアや、バビロニア、エジプト、インド、イスラエルでも同じような菊のマークが発見されている

 

いずれも、王家の紋章として用いられ、はるか離れた中米のマヤ文明でも菊の紋がはいった石像が見つかっている。紀元前1000年まえから16世紀まで栄えたマヤ文明だが、これも太陽信仰の紋だと言われているので太古に中東から北米大陸に渡った先住民がいたのかもしれない。

 

菊に似たデザインは古代の中近東地域で広く用いられていた。つまり、日本の皇室と中近東とのつながりを示す一つだと理解することが正しいと思う。宗教的に考察すると、紀元前1300年頃から始まったユダヤ旧約聖書)が最初の親であり、子供の立場であるキリスト教新約聖書)が生まれ、これらの聖書を完全に否定して生まれてきたのがイスラム教。いまでも親子3代にわたる宗教戦争をしている。

 

自分の勝手な想像では、紀元前にユダヤ教徒が日本に辿り着き、母国にいたときと同様に、ユダヤ教を信じつづけ、日本版にアレンジした宗教が現在の「神道」だと思う。なぜなら、神道ユダヤ教の共通点を見ると、あまりにも多くて内容も面白い。例えば伊勢神宮の灯篭にはユダヤ教ダビデの星)のロゴがはいっている。その理由を知っている人もいない。